平成二十年の新春を迎えて

大阪府議会議員       

 

  皆様には、平成20年の新春をご家族お揃いで、お元気にお迎えになられましたことを、心よりお喜び申し上げます。

 旧年中は、大変お世話になり、とりわけ昨年は選挙の年、その節には皆様に、大変暖かいご支援を賜りましたことに、改めて厚く御礼申し上げますとともに、皆様のご期待とご支援にお応えするべく、本年も全力で府政活動に邁進いたしてまいりたいと存じております。

 さて、過ぎし一年を振り返りますと、本当に波乱の年でありました。国政も、地方政治も、とりわけ大阪の政治状況にこれほど変化のあった年も珍しいのではないかと思います。

 春の統一地方選挙、七月の参議院選挙での与野党逆転、安倍内閣の退陣と福田内閣の誕生、幻の福田・小沢大連立劇、大阪市長選挙での市長交代、太田大阪府知事の三選不出馬。

 真にめまぐるしい政治状況の変化でありましたが、本年の大阪府知事選挙を間近に控え、私共、府政に関わるものの一人として、ぜひ皆様にお伝えしておかねばならぬことは、なぜ、太田知事が不出馬にいたったかということ、そして大阪にとって今何が課題であり、そのために次の知事にはどんなことが求められているのかということではないかと思っております。

  なぜ三選不出馬となったのか? 

  昨年九月二十日より定例の九月府議会が約一か月の会期で開かれました。八月の念願の関西国際空港の第二期オープンとシャープ液晶工場の堺臨海地区進出決定を受け、満々の自信を胸に、九月議会に臨んだ太田知事でありました。ところが、まさに政治は一寸先は闇、月が替わった十一月、政治とカネに関わる報道が燎原の火のように広がり、翌十二月はじめには、三選不出馬という事態になりました。

さて、なぜ、突然こんなにも急な展開になってしまったのか。いろんな受け止めがあると思いますが、政治とカネの責任問題が大きかったことはもとよりのことですが、私はそのこととともに知事の意識の問題が随分あったと思います。

 ご承知のとおり、太田知事は、横山ノック知事の辞任のあと、通産省の幹部職員より転じられ、大阪府知事に就任されたのであります。つまり、選挙という手続きを経てはいましたが、実態は、中央の役人が地方の役人のトップになったのであり、そうした意味では民選とは言いながら、実際には官選知事に近い存在になってしまっていたのではなかったか。そして、そのことが、知事自身の判断に府民感覚とのズレをおこしてしまったのではないかと思っております。 

  選挙で選ばれる知事・市長

  よく市民の目線ということが言われますが、日常生活を市民の側においていなかった人には、観念では市民の目線ということは理解できても、肌身で、市民の心や感性を理解するということは難しいものです。

 知事や市長には、いろんな役割があり、また、人それぞれに知事像、市長像というものをお持ちであると思いますが、言うまでもありませんが、知事や市長が選挙で選ばれる最も大きな理由は、役人の代表をつくることでなく、あくまでも府民や市民の立場に立って、府民や市民の替わりとなって府や市の運営を行い、府民や市民のための府政や市政を展開することにあります。

 誰にもわかりきっているこの選挙の原点がついつい忘れられ、いざとなると、安定のためなどと言って、結果的には府民の代表としての知事でなく、役人の代表の知事をつくってきたのではないでしょうか。

 そうした意味では、今度は、なんとしても、真に大阪府民の代表を選ぶ知事選挙にしなければと思います。

新知事に求められるものは? 

  皆様もご承知のとおり、今、大阪は永年の経済地盤の低下と東京一極集中という社会現象のなかで、かつての活気を失い、二十一世紀の大阪を待ったなしで再生させなければならないという大きな課題を抱えております。大阪人に自信と誇りを取り戻させ、福田総理ではありませんが、若者に希望を、お年寄りには安心を与える「元気で前向きな大阪」をつくりださなければなりません。

 そのためには、今までの型にはまるのではなく、新しい発想でこの大阪を引っ張ってゆく創造性のある強いリーダーが求められているのではないかと思っています。そして、何よりも大事なことは、大阪に愛着を持ち、何者にも負けぬ勇気を持っていることだと思います。私たちも議会の立場から、本年を大阪再生への大きな変化の年にするよう、しっかりと取り組んでまいりたいと存じております。

 本年も懸命に府政に邁進してゆきたいと存じますので、変わらぬご指導ご鞭撻を賜りますようお願い申し上げます。

 本年の皆様がたのご多幸とご健勝を心よりお祈り申し上げます。